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以下、JINA(ジーナ)でのインタビュー記事。

2004年5月26日 三浦たつこ さんLA在住のクロスカルチャーコンサルタント

http://jinaonline.org/topics/78/index.php?city=SF

デザイン・文・インタビュー:内田 麻衣子
――小さい頃はどんなこでした?  

三浦たつこさん 8歳の時に、1年間程結核になり隔離されて、近所の子供達とも遊べずに、イマジネーションの中で遊んでいました。その中できれいなドレスをきて大きなダンスホールで、白人の男性と踊っていたり、いろんな空想をめぐらしていました。2年間結核をしていたので、学年が1年間おくれてしまったんですけど、別に引け目は感じませんでしたね。どちらかと言うとあまり喋らない不思議な子で、親の前では「はい、はい」と、いい子ちゃんしてるんですけど、でも、自分で好きなことはやっていましたね。(笑)父が高校の英語の教師をしていたので、外国人が私の家によく来ていたんですよね。青い目の人達を見て、「あ~、綺麗だな~。ハンサムだな~」と、外国人に対して小さい頃から憧れはありましたね。
――小さい頃の夢は? 

三浦たつこさん 中学性の頃の夢は、スチュワーデスになることだったんですけど、5”2で背が止まってしまって。夢が絶たれるのかと凄いショックで、サイキックのおばちゃんに「ワカメを食べたら、背が伸びると言われ」、必死に食べたのですがダメでしたね。それでスチュワーデスになるのは諦めました。その後、私の焦点が学校にいきまして、今度は父のように高校の教師にでもなろうかと思いました。(笑)うちの父は、親から勉強するなと言われて11歳で丁稚奉公に出て、東京外語大学にいった人なんですよ。そういう人だから、とても教育熱心だったんです。ですから、私が大学の英文科をでてから英語関係の職につきたいという意思を父に伝えたら、彼は大喜びしてくれました。 その反面、母は女の子は学歴なんていらないから、金持ちでいい旦那さんさえ見つけて結婚するのが一番の幸せという古い考え方の人で、私が大学に行きたいと言った時に大反対されました。その時、大喧嘩にはなったものの、父が母をやっと説得してくれたのです。

  

福島県会津西方生まれ、神奈川県育ち。文京女子短期大学英文科卒業、1977年に渡米後、サンディエゴ州立大学にて心理学学士号とカウンセリング教育修士号取得。その後はサンフランシスコのCIIS(California Institute of Integral Studies) にて臨床心理学博士号を得る。現在、クロスカルチャーコンサルタント、ビジネスコンサルタントとして日米文化のギャップにより生じる企業や個人問題の解決に携わっている。
――何故アメリカにいらしたのですか?  

三浦たつこさん 私の生まれは、福島県の田舎で、父方の両親は鶏やブドウ畑や川に囲まれた旅館を経営していて、おじいちゃんに「たっこ~、なまず捕り行くぞ~」と早朝によく川に鯰捕りにいきました。鯰は夜に網を仕掛けて、翌朝、網を引きにいくんですよね。中学校の時に神奈川に引っ越して、厚木東女子高校を卒業し、その後父が母を説得してくれたおかげで、スムースに大学に進むことが出来ました。その代わり、家から通い、入学金は出すが、残りのお金は自分で工面しろといわれたんですよね。それに、門限は8時半までだから、同級生が遊んでいても、私は家に真直ぐに帰らなければいけませんでしたね。でも、私はそれでもいいと思いました。 こうして大学の英文科に所属する事で、私のこの頃から、英語をしゃべるオフィスで働いていることを想像しては、一人でニタニタしていました。

文京女子短期大学で英文科を専攻しましたが、もっと英語を話せるようになろうと、英語のラジオを聞いたり、いつも英語の辞書を持ち歩いていて、例えば、うなぎ屋さんの前を通って”鰻”って英語で何て言うのかなと、分らない単語を辞書で調べていって覚えていったんです。また、通学の小田急線で、外国人に積極的に話し掛けて、度胸をつけていったんですよね。だから大学在学中には、既に通訳を始めたり、アメリカ軍の外人さんのツアーバスのツアーガイドをやって、名古屋や鎌倉に行きましたね。その時は、仕事が楽しくて、外人さんと結婚する事など眼中にありませんでしたが、偶々その職場で出会ったブルーアイでブロンドの男性、海兵隊将校、と恋に陥り彼と結婚し、1976年に渡米してサンディエゴに来ました。 今は元夫になってしまいましたが、彼は素晴らしい人で、今でもいいお友達でいます。
――米軍人と結婚して、サンディエゴでは何をなさっていたのですか? 

三浦たつこさん 結婚して、専業主婦をやっていても、何かしたくてうずうずしてきたんですね。それで、夫の勧めもあって、まずサンディエゴのコミュニテイーカレッジに通い、サンディエゴの州立大学でマスターまで取得して、サンフランシスコに移り博士号をとったんです。
――在学中にMACY’Sなどのモデルもやっていたのですよね? 

三浦たつこさん モデルを始めた時は36歳だったんですけど、常識では考えられないでしょ?お友達に言っても、「あなたは、かわいいかもしれないけど、悪いけど、年も年だし、背もひくいし絶対に無理だと思う」って言われたんですね。でも、私は自分でやるっていったらやる人だから、周りの人の意見はあまり気にならないんです。

早速、当時サンディエゴで一番大きなモデリングエージェンシーのテナリアエージェンシーに電話したんですよ。最初の電話では2つの質問しかされなかったのですが、まず「HOW OLD ARE YOU?」と聞かれ、私は「30 SOMETINHNG」と、その後に、「HOW TALLARE YOU?」って言われて、「LITTLE OVER 5」って答えたんですね。そしたら、「YOU ARE TOO OLD AND TOO SHORT」って言われて断れてしまったわけです。それで日をかえて、今度はオフィスに押しかけたんですけど、「I CAME TO JUST LEAVE MY RESUME」といったら、エージェンシーのボス、テナ、がちらっとドアの横から顔を覗かせて、指でおいでおいでと呼んでいるんですよね。中に入ると、「TURN AROUND」と言われて、「あなたの足はちょっと太いけど、何とか使えるわね」とその場で採用されちゃったんです。それから、1985年から4年間ちかくフロアとテイモデルをやっていました。

だから、私が思うのは、”何かやろうと決めて心と感情がマッチしたら、現実化しますよ。”

サンディエゴ州立大学に通っている時に、その大学のカフェテリアで、アメリカ人のクラスメートに将来何になりたいかと聞かれ、私は迷わずにカウンセリング関係の仕事をしたいので、心理学の博士号を取りたいと彼にいいました。そしたら、その男の子が、「アメリカ人でさえ博士号をとるのは難しいのに、君がとれる訳がないよ」とゲラゲラ笑い始めたのです。でも私はモデルを始めた時と同じように、「あ~、出来る、出来る」と気楽に、でも心の心底から、思いました。その時の私には、全く迷いがありませんでした。モデルをしようと思った時にも、「出来る、出来る」と思ってしまったのですが、それと同じ感覚でした。「大丈夫かな?」とか「どうだろう」といった様な気持は一切ありませんでした。そうしたら、やはり私の思い通りになり、ちゃんと臨床心理学の博士号を取得できました。
――心理学を何故専攻したのですか? 

三浦たつこさん 私自身が精神的な悩みを抱えてしまったのがきっかけです。渡米後まもなくしてから、私はカルチャーショックでノイローゼ気味になってしまったのです。その時にある心理学者の先生の所にしばらくお世話になりました。よくなった後で、私はこの仕事はすごい人助けと思った訳です。スクールカウンセラーに、将来この類の職につきたいと相談した所、だったら心理学を専攻してセラピストの道を進みなさいというアドバイスを頂いた訳です。
――でも、モデルをやっていて男性にもてませんでしたか? 

三浦たつこさん 散々追いかけられましたけど、私は全然興味ありませんでした。他のモデルの人達はしりませんが、わたしがモデルをしだしたのは、実は自分に自信がなかったからです。その当時モデルをして多少外見には自信はありましたが、精神面では私は全く自信に欠けていました。今はその逆、と言うか。年もとったし太ってしまいましたが、反対に自信は抜群といえます。人生って結構皮肉なもんですよね(笑)。 そんな私でしたから、キチンとメイクアップしないと外にも出られなかったんです。誰にも見てもらえないと、自分のアイデンティテイがなくなる様な不安がいつも私につきまとっていました。

今は、外見によって自分自身がコントロールされるということがなくなったんですね。サンディエゴからサンフランシコに移って、変われたんですけど。サンフランシスコで博士号を勉強中にコンサルタントの資格も取得したのですが、そういうこともあってビジネスにも、とても興味を持ってまして、博士課程の論文は「日米のビジネス交渉の心理」でした。ですから、私の興味は臨床とはちょっと外れていると言うか。サンフランシスコでは、半年くらい、KESTという米国ラジオステーションで、「クロージングザギャップ」という番組のトークショーのホストを務め、日米関係の文化やビジネスに関して、リスナーからの質問に答えていました。
――今のお仕事の内容は? 

三浦たつこさん セラピーもやっているし、コンサルタントとしても活動しています。神経言語学プログラマーという肩書きもあります。これは大変効果のあるテクニークでフォビアをいっきょに除去してしまう位の力があります。 もう一つは近親相姦された患者さんを治療するスペシャリストのタイトルも持っています。また、コラムも沢山書いてまして、JINA、ロサンジェルスのミニコミ誌「LIHGTHOUSE」、ラフ新報、SUSHI&TOFUにも記事を提供しています。
――患者さんはどういう方がいらっしゃるんですか? 

三浦たつこさん 離婚や再婚の時の悩み、彼氏、彼女に失恋した、妊娠した、HIV移された、ホモセクシャルで両親にそれをいえないで頭を痛めている男性、拒食症、レイオフされて鬱状態の人、お子さんが登校拒否、カルチャーショックによる不安で悩む方など様々な悩みを抱えた方々がおいでになります。残念でならないのは、一般概念としてセラピーを受けることは、精神的に狂っているか意思が弱いなどという考えを大半、特に日本人の方々が抱いていることです。私が思うに、問題は誰もが抱えていると思うんですよね。完璧な家庭、完璧な人間なんて存在しないわけで、多くの人が幼少時代のトラウマを何らかの形で抱えて、それを意識しないで、毎日の行動に現れていたりするケースも多いのですね。特に、アメリカでは離婚率も高いから、正常な家庭など1%もいないでしょう。一つとても嬉しい事は、米国ではセラピーにかようことを恥とおもったり、頭がおかしいという観念は日本ほどありません。米国人は問題があるとヘアカットいくような気軽な気分でセラピストに会いに行きます。私は、このように自分から進んで積極的にカウンセリングを受けに来る方達は、とても勇気があると思います。
――私が通っていたアメリカのキャンパス内に、カウンセリングを受ける施設がありましたが、日本にはまだないですよね。 

三浦たつこさん アメリカでは、そのくらい精神衛生の面に力をいれているということでしょうね。
――コンサルタントになるのはPHDを持っていないといけないのですか? 

三浦たつこさん いえ、そんなことないです。逆に持ってない人も多いですよ。MOTIVATION SPEAKERで高卒のBRIAN TRACYなどもいますし。コンサルタントは実力なので、自分の好きな分野に入れば誰でもなれる職業です。でも、学歴があればそれに越したことはないですけど。コンサルタントとして自分の分野を開拓して、プログラムにして、それを売るんですよね。
――じゃ、ビジネス感覚も備わってないとコンサルタントにはなれないですね。 

三浦たつこさん はっきり、言ってそうですね。
――患者さんから教えられたことなどありますか? 

三浦たつこさん 患者さんが、もう自分を大事にし始めると不思議な事が起こるんですね。精神世界に入るのか、その方の波動がどんどん高くなっていくんです。最初は、悩みを抱えて、「どうしよ~、先生~」と来るんですが、セラピーによって直ってきて、そこで、「先生、ありがとう」と、消える患者さんもいれば、「先生、これをきっかけにここで自己発見をしたくなりました」といって、セラピーを継続し、その結果精神世界にどんどん入っていく人が多いといえます。
――次元上昇していくんですね。 

三浦たつこさん 患者さんをみていると、確かにその様な現象がでているといえます。もう大部前の話になりますが、ある患者さんが、急に夜中の一時頃私に電話をかけてきたことがあります。彼女は、亡くなった父が彼女の夢の中に現れて、「明日は職場(バンクオブアメリカ)にいってはいけない」と彼女にいったといいました。それと、ナンバーがその夢の中の空間にホワッと浮いていたそうです。私にどうしたらいいかと聞いてきましたが、その時の私のリスポンスは自分の第六感にたよったらということでした。それで、この患者さんは翌日仕事を休んだのですが、案の定、銀行が強盗に入られました。それと中に浮いてでてきたそのナンバーというのは何と盗まれた金額のナンバーでした! この様に人間って精神世界の扉をくぐると、実に思いもかけないこと、所謂、奇跡という現象が沢山おこるようですね。
――これまでに自分の人生の中で影響を与えた人を3名教えていただけますか? 

三浦たつこさん 一人目は、うちの父です。父は厳しい人でしたが、教育には物凄い理解がありました。自転車で父が弟を前に、私を後ろに乗せて、夜に大声で「BOYS BE  AMBICIOUS!」と、私たち兄弟に真似しろといっていましたね。私がここまで、こられたのも父のお陰だと思っています。

二人目は今は世界的にも有名な心理学者のWayne W. Dyerです。彼の講義にも何回も行っていて、「イロニアスゾーン」という著書が最初に出版されてのです。このイロニアスとは人間一人一人が持つネガティブな部分のこというんです。その後は、「YOU SEE  IT、BELIEVE IT」などを出しています。あともう一人は、コンサルタントのDr. Jonathan Parkerで、潜在意識と健在意識をリサーチしたドクターです。独り言を言うのは、どれくらい自分たちの行動を変えていくのかと言うことを、研究しています。彼はWayne W. Dyerよりは有名ではないですけど、潜在意識を研究するのはちょっと時代遅れなんですね。昔は潜在意識のことを勉強していたですけどね。
――潜在意識というと、フロイトの夢判断などはもう古いんですか? 

三浦たつこさん 古いとはいえませんが、フロイディアンサイコアナリシスアプローチを専門にしている 先生は以前ほどおおくないかもしれません。ただし、フロイディアンドリームアナリシスは今でもセラピストの先生達は結構セラピーの一部として使用されていると思います。
――どうやってセラピーをするんですか?やはり、幼少の話など聞かれるのですか? 

三浦たつこさん セラピーは一般に患者さんのバックグラウンドヒストリーから始まりますので、その中に、幼少の頃の話や、家族構成などの話が自然に入ってきます。小さい頃の家庭環境が今の私たちを作っているという前提でセラピーに入るというか。ですから、セラピスト(私の場合)は、その患者さんの過去の人生ヒストリーの詳細にふれることによって彼(女)が大人になってどういう生き方をしているか見当をつける訳です。 インテイクの仕方は先生によってかなり異なるので、「必ずこうやる!」とはいいきれませんが。。
――えーっ、運命が決められちゃったみたいで、嫌じゃないですか?? 

三浦たつこさん セラピーの目的は患者さんの運命を決めることなどでは決してありません。過去のヒストリーはもしかしたらその人の考え方のパターンの一部を見せてくれるということだけであって、その他にも色々な方法で患者さんの問題のお手伝いをします。 こうしなさい、ああしなさいというのはセラピストの仕事ではなく、それはあくまでその患者さんの意向となります。
――たつこ先生の1年後は?10年後は? 

三浦たつこさん 一年半前に胸に大きな腫瘍ができて、西洋医学ではなく、東洋医学や食事療法など自分の力でそれをなくしたのですが、1年後は、完全に健康を取り戻したいですね。10年後は、自分のトークショーを持ちます!”持ちます”と言い切るのは、”持ちたい”だと、「あ~、将来なんだ~」と、潜在意識がリラックスしてしまうんですけど、それとは違って”持ちます”と言い切っていることは、「じゃ、急がなくちゃ!」と、行動に移すんですよね。だから10年後にはトークショーを”持っているんです。” 自分のトークショーには成功した人たちをお呼びするんですよ。
――それではJINAからいろんなステキは方をショーに送りますね。 

三浦たつこさん ありがとう。何故、「成功した人達」(過去に失敗しても)をショウに招きたいかというと、もう、悪い例、いわゆる失敗続きの例、この世に溢れているからいいんですよ。要は良いロールモデルを私のショウを通じて大勢紹介し皆様にも大いに成功して欲しいと気持があります。例えば、タイガー・ウッズですが、子供の時は、人種偏見の対象になったり皆から馬鹿にされたりしましたが、それでも彼は頑張って、テイーンの時に、テープに「僕は世界一のプロゴルファーになる」と自分の声を吹き込みました。その自分の声を何千回、何万回と聴き続けて、その願望を潜在意識の憶測に刻みつけて、その結果はもう皆さNも既に御存知でしょう。そういう小話を聞くと、「へー彼もそうしたのなら、僕もできるじゃないか・・」と、皆さんにモーチベーションを与えていくのが夢です。
――最後にたつこ先生からコンサルタントを目指す日本人にメッセージは? 

三浦たつこさん NEVER GIVE UP!